精霊たちの住む島で

人懐っこいけれど、寂しげ。北の果ての島をひとり歩いた筆者が、海辺の夜に見たものとは。

雨が降っている。月曜の午前9時半、まだ外は真っ暗で、カフェには数人の客。店員の美しい青年が、窓の外、庇の下で気だるげに煙草をくゆらせている。

 旅先のカフェで現地調達した本を読む(眺める、といったほうが正しいときもある)、という趣味がある。現地語の本を買い求めようと書店に入ったのだが、意外にも英語の本をたやすく見つけることができた。世界で最も本を読む国々のうちのひとつであるここでは、同時に誰もが作家だ。国民の10人に1人は、生涯で1冊以上の本を執筆し、出版するという。また、この国出身の唯一のノーベル賞受賞者は、小説家のハルドール・ラクスネスである。真冬には一日に4時間しか日が昇らず、夕暮れと暗闇に包まれる島。人々はその長い夜を本とともに、または紙とペンとともに過ごすのだ。

 この国の人々は、鳥のさえずりにも似た響きの言葉で話す。ヴァイキングたちの話していた難解な言語が、北の果ての孤島で、ほかの言語の干渉を受けることも、言語体系の大きな変化を遂げることもなく、守られている。この国では今も、12世紀の書物を、書かれたままの言葉で読むという。

 

 本を閉じて、カフェを後にする。メインストリートを外れると、住宅街が広がっている。首都だというのに道路は広く、背の低い一軒家が並ぶ。ほかのどことも似ていない街だ。赤や水色、カラフルなトタンの壁が、低く垂れこめた雲と霧にくすんでいる。人気のない道を、雪を踏み踏み歩いていると、故郷に帰ってきたような奇妙な心地になる。人懐っこさと寂しさが共存する街。家々の窓にまだクリスマス飾りが飾られているのを見ながら、激しい自然とともに小さな島で生きることを想像する。数年前に火山が噴火したときには、ヨーロッパじゅうの空の交通が混乱に陥っただけでなく、厚く黒い雲が島を覆ったという。北アメリカ大陸とユーラシア大陸がそれぞれ載る二つのプレートは、この島の西側を走る峰から生まれ、日本に沈む。間欠泉は68分の間隔で温泉水を豊かに噴き上げ、「黄金の滝」という意味の名前を持つ瀑布は毎秒100リットル以上の冷水を滝壺に流し込む。数百年という時間をかけて溶岩をゆっくりと緑に染めてゆく苔。割れた鏡のように凍てつく火山湖。青く広大な温泉。島の内陸部には人間の立ち入ることのできない領域が多く残り、そこには精霊や霊魂が住んでいると、人々は今でも信じている。

 

 

 白い瀟洒な建物にたどり着く。Culture House、この国の文化史の詰まった博物館だ。もともと図書館として作られたここには、かつて研究者たちが一心に本のページを繰ったのであろう、広い読書室がある。特異な自然と生態系を持つこの島には、多くの外国人研究者たちが訪れたという。また、この国の芸術家たちは、世界的知名度こそないものの、島の自然や港、街並みを美しく、あるいは斬新に表現した作品を数多く製作している。ほかにも、現在の国章の原画や絶滅してしまったペンギンの剥製、民族衣装など、この小さな博物館は興味深い展示に満ちていた。

短い日が暮れてしまう。ロケットのような形でそびえたつ白い教会の前を通り、住宅街をまた行って、港と反対、南側の海へ向かおう。海岸は土、はるか遠くに山が見える。誰もいない。掘っ立て小屋とボート。陽がすっかり落ちてしまうと、西側の街に橙色の灯りがともりだした。仄白いオーロラが、老いた竜のように緩慢に弧を描きながら、アイスランド・レイキャヴィークの空を渡ってゆく。

 

 

 

 

 

(文・堀川夢)