カフェから見る世界(第二回)~インド編~

まちかど、鉄道の中、ガンジス川のほとり。インドは街中がカフェと言ってもいいだろう。今回は、そんなインドのチャイのある風景を描く。

その国の人たちの生活をカフェという空間から映し出す、「カフェから見る世界」。

第一回では、エジプトとベトナムのカフェを見てきた。

 

さて、第二回となる今回は、インドに焦点を当てて書いてみよう。

 

インドといえば、チャイ(マサラチャイ)を思い出す人も多いだろう。

まさに、インドではどこへ行ってもチャイがある。変哲もない街角、ガンジス川のほとり、宿の中、電車の中、路の上。どこにでもチャイを売る人達がいて、大体5~10ルピー(約10~20円)で買って飲むことが出来る。もはや、インドは国中、街中がカフェと言っても差支えない…のではないだろうか。今回はそういう前提で、インドのチャイのある風景を描いてみようと思う。

 

街角の憩い(コルカタ) 

 

バックパッカーが集まる安宿街、サダルストリート。その付近の路地をぶらぶらと好き勝手に歩いていると、この路上のチャイ屋さんに行きつく。

どこからどこまでが何屋さんなのか分からないほど店が立ち並んでいる通りの角で、湯気を立ててチャイを配っている。注文すると、ちょうど鍋のチャイが切れたようで新しく作り始めるようだ。水と牛乳と砂糖を入れてひと煮立ちさせたあと、茶葉をささっとふりかけて、もうひと煮立ちさせる。そうして手際よく、網を通してもう一つの容器へ入れて出来上がり。これを、クリと呼ばれる土でできたおちょこのような容器に入れて差し出す。

 

 

道路の向い側らへんに座って、いただきます。

 

甘い。コクがあっておいしい。ほっとする。インドの喧騒が一瞬のんびりしだしたように思う。ふぅっと一息をつく。これが私のチャイタイム。

 

インドでは浄不浄の概念があるため、他人が口をつけた容器はもう使わない。このクリはそのため、使い捨てだ。飲み終わったら、そこにあるかごに入れるか、道路のわきに投げ捨てる。粘土でできたこの容器は、雨に打たれて溶けていく。

道路の反対側で、このクリを作っている男の子がいる。型にはめて作った粘土のコップを、ちょっと焼いて出来上がりだ。こんなにすぐに出来るなら使い捨てでも問題ない。もし、このクリがずっと使われていくのであれば、彼は失業することは無いだろう。人がチャイを飲む限り、クリは使われ続け、壊され続け、作られ続ける。

 

 

といっても最近では、クリを使うところは少なく、小さなプラスチックのコップを使うところが増えている。しかし体に染みついた習慣は取れないから、道路のわきは溶けない容器でいっぱいだ。

クリを作る少年は、今何をしているだろう。

まぁ、インドでのことだ、また新しい仕事を見つけているのだろう。

 

 

 

Cafe “Indian Railway”

 

インド鉄道2等級。

これは、インド鉄道の中でも一番安い等級車だ。12時間ほど乗って500円程度というくらい安い。

ざっくり言うと、ここはチケットの数が制限されていない自由席の車両だ。下と上の二段に長椅子(?)が設置してあり、そこに座れるだけの人が座る。もちろん椅子だけでは入りきらないため、床にも座る。混んでるときは立ちっぱなしだ。一見大変そうに聞こえるのだが、このインド鉄道2等級は、インドの中でも私が一番好きな空間だ。

 

「チャーイチャイチャイチャイ」

この掛け声と共に、銀色の大きな容器に熱いチャイを入れたチャイワーラー(チャイを売る人)は人垣をかき分け進む。一つ頼むと、容器の横についた蛇口からプラスチックの小さなコップに入れて渡してくれる。大体5ルピーほど。

そうやって時々来るチャイやサモサ、お菓子を買いながら、夜になるまで乗り合わせた人達と共に過ごす。

”乗り合わせる”というご縁は不思議な絆を醸成するようだ。インド人たちは、乗り合わせると必ずと言っていいほどとても仲良くなっていく。親戚か何かかと思っていたのに、違う駅で何事も無かったかのようにバラバラに降りていく人々を見ることもしばしば。

私も例にもれず、そのコミュニティに入っていく。帰省中の大学生、TATAモーターズで働くおじさん、サドゥー(修道者)、旅人。様々なバックグラウンドを持つ人たちが、ここに集い、話をし、それぞれの行先へ向かって分かれていく。束の間のつながり。アドレス帳には残らないが、心に残る心地の良い出会いがここには潜んでいる。この大好きな空間を、Café ”Indian Railway”と名付け、世界で一番好きなカフェと呼ぶことにしよう。

 

 

ガンジス川の味(バラナシ)

 

ガンジス川のほとりにも、多くのチャイ屋さんがある。あるというよりは、現れる。何日もひたすら何もせずにガンジス川周辺を歩き回っていた私は、その中の1人のおっちゃんと仲良くなり、毎日通ってチャイを飲んでいた。そこには他にもお客さんやサドゥーもいて、子どもたちがクリケットや凧揚げをしているのを眺めながらのんびりと会話を交わす。

ガンジス川のほとりでは、火葬も行われ「死」がすぐそこに転がっている。聞くところによると、インドの法律上ではサドゥーは死者として扱われるのだそうだ。目の前に生きる死者と会話をしていると、何気ない日常に潜む「生」が、急に輪郭をもちはじめる。

次の日、チャイ屋のおっちゃんがガンジス川に入るということだったため、一緒に入ることにした。

服を脱いでルンギー(布)一枚になり、石鹸を使って体を洗う。隅々まで洗ったら、ガンジス川に入って流し、オイルを塗ってまたガンジス川に入る。気持ちが良かったため、その後少し平泳ぎをして岸に上がった。川に入ると2人に1人が腹を壊すらしい。私は全く異常なく、その後もサドゥーの儀式に参加するなどして楽しく過ごした。

 

最後の日、早朝宿を出て別れを告げに店に行くと、おっちゃんはまだいないようだ。少し探していると、ガンジス川の方から上がってくるおっちゃんを見つけた。手を振ると、笑顔をむけてくれた。手には、汲んできた水がたっぷり入った鍋が抱えられていた。

 

 

(文・関谷昴)