メキシコ・タスコ旅行記

早朝、メキシコシティ某所。筆者は極寒の風に耐えながらリブレを待っていた。行き先は、メキシコシティの南バスターミナルから高速バスで数時間の距離にある山がちの町、Taxco(タスコ)。

 

2016年9月4日早朝、メキシコシティ某所。筆者は極寒の風に耐えながらリブレを待っていた。

リブレとは流しのタクシーで、深夜早朝は安全ではないと言われるが、地下鉄の営業が始まっていない時間帯だったためやむなく利用した。お金のある皆様がたにはUber等を使っていただきたいと思う。

 

さて、タクシーの話は置いておいて、日曜の朝っぱらからどこに向かっているかというと、この日の行き先は、Taxco(タスコ)と呼ばれる小さな田舎町。メキシコシティの南バスターミナルから高速バスで数時間の距離にある山がちの町で、銀鉱山でかつて栄えた街並みがそのまま残っている。と、ここまで書くと観光スポットのように聞こえるかもしれないが、某地球の歩き方ではメキシコシティエリアで2ページしか触れられていない。メキシコシティやグアナフアトに行ったことのある方でも、タスコまで足を伸ばした方は少ないのではなかろうか。

ということで、今回は3回に分けて筆者の女ひとり高速バス旅タスコ編をお送りしたいと思う。

 

 

タクシーがやっと捕まると、まずバスターミナルにつながっているTasqueña(タスケーニャ)駅まで利用することにする。まだ6時を過ぎた頃だというのに運転手のおじちゃんはテンションが高く、若干圧倒されつつも日本についてやメキシコシティについて話していると20分ほどで到着。おじちゃん、「スペイン語うまいね」などと褒めちぎるのも忘れない。ここで小雨が降り出していたのでターミナルの前で止めてもらう。

「それじゃあ気をつけてね、270ペソだよ」

 

 

「270ペソ」

 

 

距離も短かったため取られても100ペソだと思っていた筆者、まさかの市内でタクシーにぼられるという失態を早々に犯し、現金をほぼ空っぽにしてバスターミナルに到着する。何がスペイン語うまいね!じゃ。散々である。バスの指定席のチケットを買ってターミナルをぶらつくも、お店は開いていないし寒すぎるのでゲートで待つことにする。

 

 

椅子に座ってしばらく待つとゲートが開き、手荷物検査を経て乗り場へと進むことができる。乗り場ではバス会社の制服を着たお姉さんたちがこまこまと働いていて、日本の新幹線のアテンダントを彷彿とさせた。そのうちにバスがやってきて、バス会社の人が時間と行き先を書き込む。間違ったバスに乗らないための工夫が様々なところにしてあり感心した。

 

 

搭乗時間になると缶ジュースが一本無料で配られる。今回利用した高速バスはメキシコシティを発着するものの中ではかなり高級な部類で、飲み物のほかにも車内で映画を見ることができたり、コンセントがあったりと日本の高速バス顔負けのスペックなのだ。

 

むろん、安く手軽に行くことは可能だが、バスそのものを狙った事件がないわけではないので、地理に明るくない方や初めての方には高級な部類のバスをお勧めする。シートはふかふかで160度くらいリクライニングできるため、高速バスに乗るのが初めての人でもリラックスして過ごせるはずだ。

 

 

と思いながらふかふかの背もたれに体を埋め眠ろうとした矢先、バスが高速道路の路肩に急に寄り、そして止まった。だだっ広い土地を走る高速道路で、他に建物はあまり見あたらない。ドアが開き運転手が降りてしまい、しばらく帰ってこない。取り残されたのか!?と思ってあたりを見回すが、周りのメキシコ人乗客たちは爆睡。一人でおどおどしながら15分ほどを過ごすと、運転手が帰ってくる。両手にはお菓子とジュースが入ったビニール袋。それを持ち込み、しばらく飲み食いしてから何事もなかったようにバスは再び発車。突然の運転手おやつタイムに唖然としながらも、バスは山間の道に入り、タスコの街へ向かっていく。謎すぎるメキシカン高速バス。

 

 

午前9時40分。高速道路の分岐点を過ぎ、いよいよ山間部に入る。徐々にタスコの街並みが見えてくる。真っ白の壁にえんじ色の屋根の家が山に張り付くようにびっしりと並んでいるのが特徴的だ。

 

 

街に入ると、コンクリート舗装ではなく石畳と、リブレではなくビートルのタクシーが姿を表す。石畳は特に急な坂道ではコンクリートよりも歩きやすいようだ。ビートルのタクシーはタスコの街の中では共通で、古い狭い町並みを小回りを効かせて走っていく姿はなんとも言えないキュートさがある。

 

小さなロータリーしかないバスターミナルでバスを降りると、まずソカロと呼ばれる町の中心の広場を目指す。独立記念日シーズンだったので、メキシコ国旗の色を使った飾り物があちこちにしてあった。

 

 

そしてそのソカロに面しているのが荘厳なサンタ・プリスカ教会である。わざわざありえないほど早い時間に起きてバスで来たのは、このサンタ・プリスカ教会の10時のミサに間に合うためだったのだ。

 

午前9時55分。ギリギリに聖堂に滑り込むと、すでに巨大な聖堂はローカルな人々でいっぱいになっていた。観光客はほとんどおらず、現地の人々の信仰の場所であることがうかがえた。自分自身もミサに与り、清々しい気分に浸って外に出ると雨上がりの快晴という、絶好のほっつき歩き日和となっていた。

 

 

その後、裏通りの市場が入り組んでいるエリアや、一般に公開している歴史的建造物、きつい坂道を通り抜け、「フィゲロアの家」と呼ばれる博物館へ向かう。

 

某地球の歩き方では「内部公開は現在していない」と書いてあるが、訪ねると親切な女性が内部を案内してくれる。

 

フィゲロアの家は別名「涙の家」とも呼ばれる。18世紀に当時の統治者が家族を住まわせるために豪奢な家として建てたのだが、そのために先住民を強制労働させたり、先住民を守ろうとした妹を殺してしまったという理由から涙の家と呼ばれるようになったと言われている。

先住民の反乱や逆襲を恐れ窓は2つしかなく、また金庫もお金を入れる場所と出す場所が別であったり、サンタ・プリスカ教会の地下につながる隠しトンネルがあったりと当時の生活と社会的状況の壮絶さを物語る物品が様々に残されている。

 

バルコニーや美術品、名産品のタラベラ焼で飾られたキッチンなどは豪奢そのものだが、そのイメージに反してとても暗い室内と、カタコンベを彷彿とすらさせるキリスト教の祈りの部屋が印象的であった。

 

先住民から隠れて祈るため、隠し通路がついた部屋に聖像とミサの道具が残されていて、当時の両者の対立の様子が目に見えてわかるのだ。隠し部屋やトンネルは明かりがないため写真に写しても真っ暗になってしまいお見せできないのが残念だ。

 

当時の統治者一族が絶えた後は画家フィゲロアが後に移り住んだため、一般的にはフィゲロアの家と呼ばれるようになり、彼の作品のギャラリーも併設されている。しかしほとんどの施設がそのままの状態で保存されているため、地下通路の入り口等ももちろん見ることはできる。

 

 

さて、この後筆者はタスコ名物のランチをとり、高速バスでさらなる辺境へ向かうのだが、そこではとんでもない「敵」が待ち構えていた…!

 

次回、筆者を待ち受ける、つらすぎる試練とは… お楽しみに!

 

 

(文・高橋 茜)