【号外】こんなことしてます!ユニーク外大生 第3回

いま話題の一人芝居『ひとり遊びのメロディー』 脚本から演出、主演まですべてを一人で行う神宮さんの素顔に迫る。キーワードはナポリと狂言!

 

 

イタリア語科4年 神宮一樹さん


 

学部3年生の秋、留学先に選んだのは南イタリアのナポリ。青い海と雄大な火山に見守られた、イタリアが誇る港町だ。今年の4月に留学を終えた神宮さんは、帰国後、大学最後の卒業研究にとりかかる。ナポリでの経験を通して彼が選んだ卒業研究の形はなんと、脚本・演出・芝居まで全てが自分の手にかかった一人芝居だ。

 

 

事の発端は留学中のある出会いだった。かねてから芝居に興味のあった神宮さんはナポリの古く小さな劇場に足を運んだ。しかし客は自分も含めたったの2人。はるばる遠方からやってきた劇団員達は業を煮やして公演をしないとまで言い出した。そこで劇場の支配人が激怒して言った。

「お前たちは数をとるのか、人間をとるのか」

神宮さんはその支配人の言葉に、何か人生のメタファーを見たような気がした。人生には山もあれば谷もある。目先の数や情報に踊らされて、自分の本当に大切な信念を違えてはいけない。人生の岐路に立っていた神宮さんにとって、その言葉は青天の霹靂だった。それからすぐに支配人と意気投合した神宮さんは、支配人が新しく経営する古本屋の開業に向けた手伝いを任せられた。

 

「自分でも驚くほど素敵な経験をさせてもらった」と笑う神宮さん。たった一晩で人と仲良くなってしまう神宮さんの手腕にも驚きだ。しかし、それはナポリの人たちの人柄ゆえだと笑って答えてくれた。外大生の留学の醍醐味は、何もその国の大学で学ぶことだけではない。まずは、人々との出会いを楽しまなくては。

 

(神宮さんが開業の手伝いをした古書店。たくさんの本の仕分けを手伝ったとか。)

 

 

更に彼にはもう一つ素敵な出会いがあった。狂言師、小笠原匡との出会いだ。ゼミ教員の勧めで、イタリアでの狂言ワークショップに来ていた小笠原氏と知り合った神宮さんは、狂言の世界を通して、芝居というものの面白さにのめりこんでいった。10月のボローニャ、2月のヴェネツィアで小笠原氏との話を重ね、帰国後はなんと小笠原氏に弟子入りして狂言を学んでいる。

 

狂言は日本の古典芸能の一つ、対話を中心としたせりふ劇だ。大がかりな舞台装置は用いず、言葉やしぐさですべてを表現する。能と同様に猿楽から発展しているが、神宮さんは能と狂言の対比から死生観を連想するという。能では「死」が描かれることが多いが、狂言は専ら「笑い」あるいは「生」を描く。終わりがあるからこそ美しい人生を感じさせる能に対して、狂言が示すのはその中で生きる人の快活さやエネルギーだ。神宮さんが能や狂言から得たインスピレーションは計り知れない。

 

留学中のこうした運命的な出会いは神宮さんの心を動かすのに十分だった。目先の利益ではなく信念に重きを置く劇場支配人、見返りを求めず優しく神宮さんを受け入れてくれたナポリの人々、そして狂言との出会い…。帰国後、当たり前に進むと思っていた就職の道を蹴り、人に何かを伝えることにその身を捧げていこうと決意する。次に踏み出す一歩の足場も定かではない靄のかかった茨の道だが、夢を語る神宮さんの顔は揚々として明るかった。大切なものの本当の在り処を、留学を通して心して知ったからだ。

 

 

 

そんな神宮さんの一人芝居「ひとり遊びのメロディー」の公演は来週6月21日だ。ナポリ留学を通して確かめた思いを、「見えない」ヒロイン、静(しず)に託した、どこか悲しく美しいストーリーになっているという。一人芝居という形を選んだのは卒業制作だからという理由もあるが、「見えない」ものを語るには役者は一人が相応しいからだ。更に舞台はナポリと同じ海と火山のある街、ということになっている。実はこの2つのモチーフは「地震」というキーワードを呼び起こす。海は東日本の、火山は熊本の震災にうっすらと繋がっている。勉強中の狂言の技術がどう生かされるのかにも注目だ。

 

生とは何か、死とは何か、私たちが本当に大切にしなければならないものは何なのか。

その答えは、ぜひ神宮さんの一人芝居に足を運んで見つけ出してほしい。

 

 

 

 

(芝居の練習風景)

 

▼詳細はこちら

一人芝居「ひとり遊びのメロディー」

会 期: 2016年6月21日(火)

時 間: 17:30開場 17:45開演

場 所: 東京外国語大学 アゴラプロメテウスホール ※入場無料

 

―舞台上の役者は、たったひとり。彼がピンクのカーディガンとともに、「ひとり遊び」のように紡ぎだす、一見奇妙で、だが優しく、どこか儚い物語。

 

 

(文・濱本夏綺)